御霊神社 (上御霊神社)

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概要

上御霊神社は、「御霊神社」や「八所御霊」、「産土神(うぶすながみ)」、「上御霊さん」といった名称でも親しまれてきた古社で、平安京の創設以降、王城を守護する神社として朝廷からも篤く信仰されていた。

かつてこの地には「御霊の森」と呼ばれる森林が広がっていたと伝えられ、現在の境内は応仁・文明の乱が勃発した場所としても知られている。境内の規模は過去に比べて縮小されているが、創建当初から現在まで鎮座地は変わっていない。江戸期には「上御霊」や「御霊丁」、「御霊地」といった地名で呼ばれていた。

主祭神としては、八柱の御霊を祀る御霊社として信仰を集め、「八所御霊大明神」の称号でも知られている。また、宮中に祀られていた三社明神・和光明神も合祀されている。

歴史

起源と創建
  • 上京区にある上御霊神社は、平安時代に創建された御霊信仰の神社である。
  • 794年:早良親王(のちの崇道天皇)の霊を鎮めるために桓武天皇の勅願により創建された。
  • 奈良・霊安寺御霊社より神霊を遷座したとの伝承がある。
  • 出雲氏の氏寺・出雲寺(上出雲寺)の鎮守社が起源とされる。
平安時代の展開
  • 839年:伊予親王と母・藤原吉子を祀る下御霊社が創建される。
  • 863年:最初の御霊会(ごりょうえ)が行われ、怨霊鎮魂の儀礼が制度化される。
  • 966年:疫病流行により当社で読経が行われた(『日本紀略』による)。
  • 985年:御霊会が定期的に行われるようになる。
中世の動乱と信仰
  • 1384年:上御霊神が正一位の神階を授けられる。
  • 1467年:畠山政長と義就の争い(御霊合戦)により社殿が焼失。応仁の乱の発端となる。
  • 室町幕府や足利将軍家により再建が行われる。
江戸時代の再興と皇室の崇敬
  • 天正年間:社殿修造に際して内侍所仮殿が下賜され、後に本殿となる。
  • 1723年・1729年:第112代・霊元天皇の行幸があった。
  • 1733年:内裏・賢所御殿が寄進され、現在の社殿の基礎となる。
  • 皇室の産土神として、天皇家の厚い崇敬を受け続ける。
明治以降の動向
  • 1868年:神仏分離により観音堂や鐘楼が撤去される。
  • 1877年:明治天皇の勅使が参向。
  • 1934年:室戸台風により被害を受けるが、皇族の寄進により復旧される。
  • 1968年:本殿が焼失。
  • 1970年:本殿が再建される。
平成〜令和の復興と活動
  • 1981年〜2000年代:神輿、楼門、拝殿、絵馬所などの修復が行われる。
  • 2002年:皇太子殿下(現・天皇陛下)の行啓がある。
  • 2009年:長らく中断されていた「御所巡行」が復活。
  • 2019年:令和最初の御霊祭が盛大に執り行われる。
  • 2023年:絵馬所、南門などが修復され、境内が整備される。

祭神

井上内親王(717–775)

  • 第45代・聖武天皇の娘、光仁天皇の皇后。
  • 息子・他戸親王と共に呪詛の罪で幽閉・死去。
  • 怨霊とされ、のちに「吉野皇太后」として復位。

他戸親王(761または751–775)

  • 光仁天皇と井上内親王の子(諸説あり)。
  • 皇太子となるが、母の呪詛事件に連座して廃され、母と共に幽閉死。

吉備真備(695–775)

  • 唐留学経験を持つ学者・政治家。
  • 『刪定律令』編纂など文化・制度面で功績多数。
  • 晩年、政変に巻き込まれ失脚。

早良親王(750–785)

  • 桓武天皇の同母弟。
  • 皇太弟となるも藤原種継暗殺事件に連座し、流罪途中に絶食死。
  • のち「崇道天皇」と追贈される。

藤原吉子(?-807)

  • 桓武天皇の夫人、伊予親王の母。
  • 伊予親王の変により母子共に毒殺。
  • 祟りを恐れ、官位追贈。

伊予親王(生没年不詳、807年没)

  • 桓武天皇の皇子。
  • 皇位継承をめぐる陰謀により冤罪を着せられ、母と共に死去。
  • 下御霊神社にも祭神として祀られる。

橘逸勢(?-842)

  • 平安前期の官人・書家。「三筆」の一人。
  • 承和の変で恒貞親王側として処罰され流罪、途上で死亡。
  • 書の名手としても後世に影響を残す。

合殿:三社明神

小倉実起(1622-1684)

  • 江戸時代前期の公家。政争により失脚し、怨霊視される。
  • 霊元天皇の側近として活動し、のち配流され非業の死。

小倉公連(1647-1684)

  • 小倉実起の子。父と共に没落。怨霊として祀られる。
  • 具体的事績は不明ながら、家名と共に悲劇的運命を辿る。

中納言典待局

  • 小倉実起の娘。宮中に仕えた女官。
  • 兄や父の事件に関連して悲運の死を遂げたと伝わる。

小倉季判

  • 小倉実起の次男とされる。家族同様に没落。
  • 不遇の最期により怨霊視され、父と共に神格化される。

合殿:和光明神

菅原和子(?-1810)

  • 東坊城家の娘で、光格天皇の側室。桂宮盛仁親王の母。
  • 懐妊中に宮中で転倒し、早産で母子ともに死去。事故に陰謀の説あり。
  • 12年後、仁孝天皇の正妃・鷹司繁子も同様の死を遂げ、怨霊説が広まる。

摂末社

神明神社
稲荷神社
厳島神社
花御所八幡宮
大舞神社
天満宮社
多度神社
貴船神社
粟島神社
白髪神社

長宮三十社

八幡宮
疫除社
白髭社
淡嶋社
大舞宮
天満宮
多度神社
貴船社
春原社
荒神社
稲葉神社
今宮神社
熊野神社
愛宕神社
熱田神社
多賀神社
厳嶋神社
猿田彦神社
貴布禰社
丹生神社
梅宮神社
八坂神社
廣田神社
吉田神社
日吉神社
住吉神社
龍田神社
廣瀬神社
大和神社
石上神社
大神社
大原神社
平野神社
春日神社
松尾神社
八幡神社
賀茂神社
鴨神社

文化財

神社の歴史的資料と文化財

安土・桃山時代の資料
  • 1585年:正親町天皇綸旨
  • 1596年:後陽成天皇女房奉書
室町時代後期の資料
  • 奉書、弁官宣旨、御教書などが数十通
江戸時代後期の記録
  • 1862年:和宮降嫁の際の宣下に「金百疋御納」の記録

神社の重要な神具と寄進

神輿 二基

現今祭礼に奉舁するものにして、後陽成天皇、後水尾天皇、御譲位の御時御鳳輦を御寄進あらせられしものにて、後年之を神輿に造替せしものなり。古来「安産神輿」と称せられる。

御牛車
  • 一輌 / 後陽成天皇御寄附
鉄燈籠
  • 一対 / 光格天皇御寄附
指鉾
  • 太刀鉾 (刀鉾) 永仁二年 / 伏見天皇御寄附
  • 龍鉾 (劒鉾) 永享三年 / 後花園天皇御寄附
  • 蓬莱鉾 (松鉾) 文明二年 / 後土御門天皇御寄附
  • 枝菊鉾 永禄四年 / 正親町天皇御寄附
  • 桐鉾 慶長六年 / 豊臣秀頼公御母堂御寄附
  • 鯱鉾 元和九年 / 御水尾天皇御寄附
  • 葵鉾 寛永二年 / 東福門院御寄附
  • 菊鉾 寛永三年 / 東福門院御寄附
  • 亀鉾 寛永十二年 / 明正天皇御寄附
  • 紅葉鉾 寛文九年 / 新広義門院御寄附
  • 宝鉾 元禄七年 / 東山天皇御寄附
  • 鷹羽鉾 享保二年 / 源昭院御寄附
  • 牡丹鉾 宝暦十一年 / 桃園天皇御寄附
  • 柏鉾 明和三年 / 有栖川宮御寄附
  • 矢的鉾 安永四年 / 後桃園天皇御寄附

祭礼

1月

  • 1月1日: 歳旦祭

2月

  • 2月11日: 節分祭 / 古神札焼納神事
  • 紀元祭

3月

  • 祈年祭

5月

  • 5月1日: 御霊祭社頭之儀
  • 5月5日: 子供神輿巡行
  • 5月18日: かがり火コンサート
  • 5月28日: 御霊祭渡御之儀

6月

  • 6月30日: 春季御内儀祭

7月

  • 夏越の大祓式 / 茅の輪くぐり

8月

  • 8月18日: 奉納写生大会 / ラジオ体操会

11月

  • 11月15日: 例大祭 / 小山郷六斎奉納 / 狂言奉納
  • 11月18日: 七五三奉祝祭
  • 11月28日: 火焚祭 / 湯立神楽奉納

12月

  • 秋季御内儀祭

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