相国寺

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京都市上京区の閑静な街並みに、臨済宗相国寺派の大本山「相国寺」がひっそりと佇んでいる。室町幕府三代将軍・足利義満の発願によって創建されたこの寺は、京都五山の第二位に列せられる格式を持ち、長きにわたり京都の宗教・文化・政治の中心地の一つとしてその威容を誇ってきた。

相国寺は、臨済宗相国寺派の大本山である。「相国」とは、古代中国の高位官職「宰相」に由来し、日本では「太政大臣」に相当する尊称として用いられていた。創建当初の開基・足利義満が太政大臣の地位にあったことから、その寺名が冠された。寺号である「承天」は、後小松天皇の勅許を受けて建立されたことに由来する。

開山(初代住持)は、禅僧・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)であるが、事実上の開山は夢窓疎石(むそうそせき)である。夢窓は、南北朝時代から室町初期にかけて活躍した名僧で、金閣寺や天龍寺などの創建にも関与した。

歴史

相国寺の歴史年表

創建と室町時代の栄華(1382年〜1573年)

  • 1382年(永徳2年):足利義満の発願により、夢窓疎石の弟子・春屋妙葩を開山として相国寺創建。
  • 1392年:五山制度により京都五山の第二位に列せられる。
  • 1394年:足利義満、出家して相国寺に深く関与。
  • 1397年:金閣(鹿苑寺)造営開始。相国寺の別院とされる。
  • 1401年:相国寺の学問・禅宗の拠点としての地位が確立。
  • 1410年:火災により伽藍の多くが焼失。
  • 1432年:再建工事が進み、伽藍の復興。
  • 1467年〜1477年:応仁の乱により再び大半の伽藍が焼失。
  • 1495年頃:再興が図られるが、資金難などで進展が遅れる。

安土桃山時代~江戸初期の再興と安定(1585年〜1655年)

  • 1585年:豊臣秀吉、相国寺の復興を支援。
  • 1588年:秀吉、聚楽第行幸に際して相国寺を整備。
  • 1596年(慶長元年):大地震(慶長伏見地震)により伽藍が被害を受ける。
  • 1601年:徳川家康、寺領を安堵。江戸幕府の庇護下に置かれる。
  • 1605年:相国寺に学問所「学林」設置、学問復興の基礎となる。
  • 1612年:火災により仏殿などを焼失。
  • 1614年:江戸幕府、仏殿再建を援助。
  • 1616年:仏殿再建完了。
  • 1621年:境内の整備進行。江戸幕府の寄進で伽藍再興が進む。
  • 1623年:塔頭の整備、学林教育の拠点としての体制が整う。
  • 1634年:三代将軍・徳川家光の上洛に際して参詣。
  • 1653年:方丈改修。
  • 1655年:伽藍の復興完了、寺勢が安定期に入る。

江戸中期~幕末(1656年〜1868年)

  • 1700年頃:再び火災が発生し一部伽藍を失うも、幕府の支援により復興。
  • 18世紀後半:学問と禅の中心として多くの学僧を輩出。
  • 1820年:塔頭・瑞春院において文化人との交流盛んとなる。
  • 1864年(元治元年):禁門の変(蛤御門の変)の戦火により被災。

明治〜大正時代(1868年〜1926年)

  • 1869年:明治新政府の神仏分離令により、寺領縮小や廃仏毀釈の影響を受ける。
  • 1871年:学林(僧侶養成教育)が一時中断。
  • 1880年:仏教復興の気運高まり、再建が進む。
  • 1910年:学林再興、現代の相国寺林(宗門の教育機関)へつながる。

昭和~現代(1926年〜現在)

  • 1933年:相国寺文化事業団体設立、仏教文化の普及を図る。
  • 1945年:第二次世界大戦末期、空襲被害は免れる。
  • 1952年:重要文化財に多数指定(方丈、法堂など)。
  • 1986年:相国寺承天閣美術館が開館。
  • 1994年:鹿苑寺(金閣)・慈照寺(銀閣)とともに、ユネスコ世界文化遺産に登録(「古都京都の文化財」)。
  • 2010年:境内の保存修理事業が始まる。
  • 2020年:新型コロナウイルスの影響で拝観が一時中止されるも、オンライン法要等を通じて活動継続。
  • 2022年:相国寺創建640年を迎え、記念法要が行われる。

境内

伽藍配置

南から勅使門、放生池がある。その北に法堂、方丈が直線状に建ち並ぶ。

  • かつては三門、仏殿があった。 現在の境内に広がるアカマツ林(般若林)付近になる。かつてはこの地に学林寮なども建てられていた。仏殿は、室町時代後期以後、再建されていない。現在は土壇が残る。
  • 三門は江戸時代後期、1788年の天明の大火で焼失後は再建されていない。現在は、三門跡の礎石、石積み基壇も残る。
  • 七重大塔(109m)が境内東方に建立された。室町時代前期、1399年/1401年に建てられている。京都随一の高さを誇った平安時代の白河院の法勝寺(ほっしょうじ)、八角九重塔を意識しており、初重に大日如来、金剛界の五仏、二重に胎蔵界大日如来、扉に二十四天像が描かれていた。2年後に失火、1403年に落雷により焼失する。その後、北山第に移されたという。再び相国寺に再建され、1467年/1470年、戦乱により焼失し、その後再建されることはなかった。
  • 勅使門(京都府指定有形文化財)は、総門の西に並立して建てられている。安土・桃山時代-江戸時代前期、慶長年間(1596-1614)の創建という。御幸門とも呼ばれ、特別時のみに開けられる。
  • 総門(京都府指定有形文化財)は、創建時には平安京北限の一条通にあり、室町殿の総門を兼ねていたという。室町時代中期、1466年旧3月に落成し、10日に足利義政(1436-1490)が始めて通行したという。
  • 唐門は、江戸時代後期、1841年に建立された。門の奥に書院がある。
  • 法堂(重文)は、雷音堂、いまは無畏堂、本堂とも呼ばれる。仏殿を兼ねる。当初の建物は室町時代前期、1392年に建立された。建物は4度焼失し、過去に5度再建されている。現在の建物は江戸時代前期、1605年に豊臣秀頼の寄進による。現存する法堂としては日本最古であり、京都五山禅院中最大になる。
  • 方丈(京都府指定有形文化財)は、江戸時代後期、1807年に建立された。方丈としては大規模な建築になる。
  • 開山堂(京都府指定有形文化財)は、室町時代後期、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失している。江戸時代前期、1666年/寛文年間(1661-1673)に第108代・後水尾天皇により皇子・桂宮第三世穏仁親王のために再興された。
  • 鐘楼(京都府指定有形文化財)は、江戸時代後期、1788年の天明の大火で焼失し、1844年/1843年に再建された。
  • 天響楼は、現代、2011年に建立され落慶法要が行われた。鐘は、中国開封大相国寺により二つ鋳造され、一つが日中佛法興隆・両寺友好の記念として寄進された。
  • 僧堂は、塔頭・大通院内にある。もとは大通院宮栄仁親王菩提所の元伏見大光明寺にあったものが、江戸時代に移築された。
  • 経蔵(京都府指定有形文化財)は、江戸時代後期、1788年の天明の大火によって焼失した宝塔の跡地に、120世・盈冲和尚の寄進により、1860年に落成した。
  • 浴室(京都府指定有形文化財)は、室町時代前期、1400年頃に創建された。その後、安土・桃山時代、1596年の再建され、現代、2002年6月に復元された。
  • 庫裏(京都府指定有形文化財)、「宗務本所」、「台所(香積院、こうしゃくいん)」は、江戸時代後期、1807年の再建による。
  • 蔵経塔(京都府指定有形文化財)がある。
  • 承天閣美術館は、現代、1984年に開館になった。相国寺、金閣寺、銀閣寺などの文化財を調査研究・収蔵展示している。
  • 茶室は室町時代前期、1398年、金閣寺古材で造られた茶室「夢中庵」がある。

文化財

彫刻

  • 釈迦如来像: 本堂須弥壇の中央に安置されるこの像は、鎌倉時代の名仏師・運慶によって制作されたとされ、結跏趺坐の禅定印を結んでいる。
  • 阿難尊者像 & 迦葉尊者像: 本堂内で釈迦如来像の脇に配置される、これらの像も鎌倉時代の彫刻であり、釈迦の教えを支える重要な脇侍像。
  • 夢窓疎石像: 江戸時代前期の1653年に京仏師・吉野右京藤原種久により作られた木彫像。開山堂に安置されており、夢窓疎石の細かい表情と特有の姿勢が彫刻に反映されている。
  • 無学祖元像: 1680年、江戸時代初期の仏師・法橋了無によって彫られた木像で、開山堂の西の壇に安置されている。製作後、何度か補修が行われ、伝統的な技術で保存されている。
  • 高峰顕日像: 夢窓疎石の師である仏国国師の像は、1680年に制作され、仏師・了無によって彫刻された。円明塔に奉安され、その精緻な彫刻は高峰顕日の精神を表現している。
  • 春屋妙葩像: 開山堂の西の壇には、開山「春屋妙葩」の木像が安置され、江戸時代初期の彫刻技術を感じさせる造形美が見られる。
  • 足利義満僧形像: 足利義満の像も開山堂内に安置されており、その僧形の木像は、歴史的な人物を彫刻により象徴的に表現している。
  • 釈迦三尊像: 室町時代中期、1435年に再建された仏殿に安置された三尊像で、中央に釈迦、左に弥陀、右に弥勒の像が彫られ、特に髻中に納められた尊氏の遺髪がその象徴性を高めている。

絵画、文書

鎌倉時代後期(1297年)

  • 無学祖元墨蹟:紙片墨書「与長楽寺一翁偈語」(国宝)
    • 内容:仏の教えを韻文調で記述、故事「撃竹大悟」に基づく
    • 書いた人:上野国長楽寺住職・一応院豪の依頼により
    • 逸話:唐代の禅僧・香厳智閑の「竹にぶつかる音で悟りを開く」という話を引く

室町時代

  • 夢窓国師墨跡:墨跡「別無工夫
  • 普明国師墨跡:墨跡「応無所住而生其心」
  • 足利義満の筆:「放下便是」
  • 明兆筆「二世春屋妙葩頂相」:1幅(重文)、中国浄慈寺の祖芳道聯の賛あり
  • 足利義満画像:1424年、伝・土佐行広筆(重文)
    • 内容:義満死後16年目、禅宗頂相で法衣を着た姿

安土・桃山時代

  • 長谷川等伯筆「竹林猿猴図屏風」:6曲1双(重文)
    • 描写:竹林と木に遊ぶ手長猿の家族
    • 特徴:金泥が施され、牧谿の影響を受けながら独自性を見せる

元時代

  • 陸信忠筆「十六羅漢図」:16幅(重文)
  • 周文筆「十牛図」
  • 絶海中津賛の「寒山行旅山水図」(重文)

明時代

  • 林良筆「鳳凰石竹図」(重文)
  • 「鳴鶴図」:2幅(重文)
    • 内容:白鶴が羽を広げて飛び立つ様子、蘇軾の詩に基づく
    • 描写:狩野派や伊藤若冲に影響を与えた

江戸時代

  • 円山応挙筆「牡丹孔雀図」(重文、1771年)
  • 円山応挙筆「瀑布図」(重文)
  • 俵屋宗達筆「蔦の細道図屏風」(重文)
  • 長谷川宗也筆「龍虎図屏風」
  • 吉山明兆筆「白衣観音像」:観音懺法の本尊として掛けられる
  • 狩野探幽筆「観音図」
  • 狩野尚延・安信筆「猿猴図」:3幅対(江戸時代)
    • 内容:第108代後水尾天皇による観音懺法で、相国寺に寄進された
  • 円山応瑞筆「朝顔狗子図」
  • 狩野常信筆「源氏物語図屏風」:右隻「光源氏」、左隻「夕霧」など描写
  • 紙本写本「西笑和尚文案」:江戸時代、1605年、西笑承兌による文書下書き(全10冊)

伝・後水尾天皇関連

  • 後水尾天皇宸翰「圓明」:天皇が開山堂を再建、追善供養のために書いた
    • 内容:親王の死を悼む言葉
    • 位置:開山堂中央に掲げられている

若冲の作品

  • 若冲筆「釈迦三尊像」:1765年作、色彩鮮明な絹本着色
    • 内容:釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩
  • 若冲筆「大書院障壁画」:50面のうち「葡萄小禽図」(重文)など
  • 動植綵絵:1758-1766年、30幅、色彩鮮やかに描かれた動植物
    • 特徴:裏彩色の効果やだまし絵技法を使用
  • 釈迦三尊図:色鮮やかな絹本着色、模写として東福寺の伝・張思恭作品に基づく

祭礼

観音懺法(せんぼう)会 (6月17日)

「観音懺法会」は、相国寺の創建以前より室町殿の観音殿で毎月18日に行われていたが、相国寺創建後は、毎年6月17日に衆僧によって執り行われるようになった。

この行事では、観音菩薩に自らの罪を懺悔し、声明や梵唄が唱和される。法堂には明兆筆による「白衣観音像」が掲げられ、その脇侍には伊藤若冲筆の「普賢・文殊菩薩像」が並ぶ。若冲は江戸時代中期の1765年に永代供養として寄進した。

開山毎歳忌 (10月20日-21日)

「開山毎歳忌」は開山・夢窓疎石の忌日で、法堂の須弥壇には、曲椂(きょくろく)に法被を掛けた疎石像が安置される。10月20日に宿忌が、21日に半斎が行われる。

行事には献粥諷経、諸堂焼香、奠供十八拝、出斑焼香などが続き、妙心寺、大徳寺、南禅寺、建仁寺、東福寺、萬福寺などの重役が出頭する。また、西本願寺や百萬遍知恩寺の使僧も焼香に参加する。

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